(書評)勝負哲学 岡田武史 羽生善治

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2019年03月30日

(書評)勝負哲学 岡田武史 羽生善治

こんばんは、勝負大好き、ゲーム滝川@マネテク!です。

「勝負」を直訳すると、「Game」なんですよね。

というわけで、岡田監督の言葉を読みたいなぁと思い、図書館で予約して読んでみました。

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勝負師2人の対談

本自体は、2011年にサッカーの岡田武史監督と将棋の羽生善治永世七冠が対談した内容をまとめたものです。
2人の勝負師が勝負について赤裸々に語っており、大変興味深く読みました。

さっそく、気になった部分を抜書きしておきたいと思います。

とことん理屈で考えても、最後は「カン」

まずは岡田監督の言葉です。

だから、結論を出す瀬戸際までは論理をできるだけ精密に積み重ねるけれども、最後の一片を埋める決断はカンで下します。
とことん理屈で考えはするが、最終的な答えを理屈で出すことはしないんです。

「どこまで論理を突き詰めても最終的な判断は勘で下す」というのは非常に興味深いと思いました。
人間の能力というのは突き詰めていくと本当にすごいことができるという感覚は私も何となく感じています。
昨今ではAIが様々な分野で活用されてきており、AIが人間にとって代わるという論調もあったりしますが、最終的に人間が感覚的に判断することが必要な局面というのはなくならないような気もしました。
人事を尽くして天命を待つ的な雰囲気も感じますね。

将棋界の師弟関係に驚く

続いて羽生永世七冠の言葉です。

私の師匠は二上達也先生ですが、先生と対局したのは入門した時とプロになった時と他にも1回の合計3回しかありません。
その時も技術的な指導は一度も受けていません。
将棋の世界ではそれが普通ですし、教育というのは本来それでいいのかもしれません。

これは普通に驚きましたね。
将棋の師弟関係というのは非常に特殊なものなのだなということがよく分かりました。

ちなみに、岡田監督も指導ということについて少し前のところで語っています。

指導とは、実はコップの中にすでに入ってるものを持って行き出していることに他ならない

エデュケーションの語源はラテン語の「エデュカーレ」で、「引き出す」という意味だそうです。

まとめ:ハイレベルな神々の対話

2人の会話に知性がほとばしっているのと、すごくハイレベルな教養を前提とした対話に衝撃を受けました。
語り口はソフトで分かりやすいですが、会話している内容は非常に高度です。
一流は一流を知る、ということなんですかね。

勝負哲学
★★

星の基準
★★★★★ 手元に置いて何度も読み返したい名著 買って配りたい
★★★★ また読みたい、いい本。他人に勧めたい
★★★ よい本だった。また読むかは微妙。
★★ 読む価値のある部分もあるが…。また読むことはなさそう。
★ 時間の無駄だった。

今日のマネテクポイント

羽生永世七冠はこの記事を書いている時点で無冠になっていて、羽生九段という聞き慣れない肩書になっているのですが、それでも飄々としています。
この本の中でもあった「充電中」なのだと思います。
今後もまた勝負師としての活躍を期待したいです!

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by ジョージ滝川 at 06:58 │ Comments(0) 読書  
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